滞在日記 7月
滞在日記は主にロングステイの生活、感想などを中心に掲載します。
観光は主に「アルバム」をご覧下さい。


<トピックス>
グリンデルワルドの日本語観光案内所 スイスの郵便小包 ユングフラウパス ユングフラウヨッホへの鉄道料金 航空機のチェクイントラブル リコンファーム
2002年7月1日(月)晴れ 20000歩
昨日からテレビの天気予報を朝見ているが、さすが観光立国のスイスだけあって、主な観光地の予報はきめが細かい。予報・現況を見て雲が少ないところに行けばよいという具合。しかし、これも今それが判っただけで、今朝はいいかげんに考えていた。目的地の天気現況では雲で景色が全然見えない状態だったが、目の前のアイガーには雲がないし、直ぐ晴れるだろうと思って出かけた。ゴンドラに乗ってゆける楽な「メンリッヒェン〜クライネ・シャイデック」というコース。正面に見えるはずのアイガーはメンリッヒ周辺の雲に隠れて見えなかったが、歩くうちに少しずつ見えるようになった。アイガー、メンヒ、ユングフラウを纏めて見ることはできなかったが、それぞれご尊顔を拝することができた。
昨日買ったユングフラウパス(120SF、5日間の鉄道、バス、ゴンドラ等ほとんどの交通機関が無料、ただし一番料金が高いユングフラウヨッホへの登山鉄道は半額割引)を活かそうと、登山鉄道でグリンデルワルド周辺を一周。ミューレンという高地へも足を伸ばし、異なる角度からアイガー、ユングフラウを眺めた。
今日の探訪で、グリンデルワルド周辺の日本のパック旅行の行き先がわかった。そのほとんどの主な目的地は、ユングフラウヨッホ。その前後に地の利の良いメンリッヒェン、クライネ・シャイデック周辺のハイキングを行うというのが多そうだ。今日は日本人の団体客に沢山出会ったし、話もできた。都会地では単独旅行者は団体客から警戒されるが、山の気安さなのだろう。
2002年7月2日(火)雨のち曇り 4000歩
今日は予報どおり雨。休養日とする。
閑に任せてHPの追加作成を行ったが、携帯のCIMカードが切れたようで繋がらない。予想を上回る消費スピード。仕方なくインターネット接続サービスをやっているSchoeneggというホテルに行って、接続を試みたが、何故か反応が全くない。残念ながらHPを作成しておいて、接続できるまでアップロードを見送るしかない。
2002年7月3日(水)晴れ 18000歩
昨日のぐずぐずした天気と一転、嬉しい晴天。皆が行くユングフラウヨッホ(ヨーロッパで一番高い鉄道駅、展望台)へ出かけた。ここは鉄道料金がべらぼうに高い(正規145SF,ユングフラウパス48SF)ので日を選ぶことが必要。団体旅行の場合は運任せということになる。
登山鉄道は途中2回、展望地で途中下車、(多分高度に慣れさせるためでもあろう)、3454mの目的地に到着。気温ー2度。気圧のせいでなんとなく身体がふわふわする。我々は通常団体客が1時間予定のところを、3時間居たが、終わりごろには身体が少し慣れてきたような気がした。着いた当座は霧に覆われていたが、粘っているうちに晴れ間が見えてきて、メンヒの全容、ユングフラウは頂上部分を少し、大まかなパノラマを目にできた。アルバム2を参照。さすがに有数の観光地、色々見所が用意されていて、レストランで休んだ時間も含め3時間は退屈しなかった。見所の列記は省略させていただくが、個人旅行でいかれる場合は、案内掲示が良くできている(鉄道放送、内部掲示共に日本語あり)ので見落とさないようにすれば良い。なお、掲示はアジアでは日本、中国、韓国各国語表記がある。
スイスの管理能力の優れた点だろうが、動かす鉄道の車両が適正で全員に座席があり、かつ空席が少ないように運行されている。団体と個人に分かれていて、団体客はおおむね貸し切りだが、乗るまである程度立ったまま整列を余儀なくされている。その点個人旅行者のほうが楽。
帰途、アイガーグレチャーという駅からクライネシャイデックまで下り道をのんびり1時間ほど散歩。
2002年7月4日(木)雨のち曇り 10000歩
朝から雨模様。ゆったりと、朝寝を決め込む。昼過ぎになって雨も上り、雲が大分高くなってきたので尾根道の散歩をしようと登山鉄道の乗場に出かける。そこでまたKさん夫妻と顔を合わせる。仙台在住のKさん夫妻とは妙にご縁があって、グリンデルワルドに到着した列車が一緒だったことが手始めで、それ以来山で偶然ご一緒になったのを含め6回は顔を合わせている。お互い自由旅行で、似たような行動のためだろうが、お話を伺うとご夫婦で日本100名山を廻りきられたとのこと。夫婦で山登りを一度もやったことのない我々とは比較にならない。スイス各地で2ヶ月のご予定とのこと、ご無事を祈る。
日本語観光案内所
前置きが長くなったが、クライネシャイデック〜アルピグレンの易しいコースをぶらぶらと1時間半で歩く。

話は変わるが、今回の貸し別荘は「日本語観光案内所」の斡旋による。その経緯は「ひとつ星ホテルを予約」を参照願いたい。貸し別荘がひとつ星ホテルというわけではない(念のため)。
この案内所は便利で、雑談も含め毎日のように立ち寄って、情報を貰っている。ホテル・貸し別荘の予約をしていない一般の人も多く立ち寄っており、ここでは貴重な存在だろう。
今日は7/8帰国便のリコンファームを行った。出発地はミラノだが、AFのチューリッヒの窓口に電話し、英語で、月日、便名、名前を言えば相手がコンピュータを叩いて出発、経由、到着などの内容を確認してくる。出発時間も先方が念のため言ってくれる。そう多くをしゃべる必要がなかった。

日本語観光案内所
2002年7月5日(金)快晴 14000歩
満天雲なく快晴。スイスの締めくくりに、景色の良かった所に再度行って、ブラブラし、写真も撮ってきた。フィルスト、メンリッヒエンにそれぞれゴンドラに乗って出かけた。初めてみたときほどの感激はなかったものの、観ていても飽きない。上で散歩し、レストランで休んで早めに引き上げた。
荷物の重量制限(AFの場合は23k)をはみ出しそうな物を郵便小包で送る。グリンデルワルドの場合は、郵便局と直接やり取りしなくても日本語観光案内所が全て代行してくれる。不着の場合のクレームもそこに言えばよい。航空便で1週間から10日、別送申告はいらない、また本人宛にする必要もない。ただし大きさは規格品の箱があってそれを使用する必要がある。
2002年7月6日(土)雨 14000歩
旅の途中で、O氏のご子息の訃報、今日また闘病中であったK氏の訃報に接する。O氏の想いはいかばかりか。また、K氏はまさに闘いながら逝かれた。いうべき言葉がない。

ミラノに到着、7月1日以降のHPを一括アップロード、またメールも一括受信し、悲報に接す。
ホテルはAntica Locanda Leonardoという三ツ星。マダムが日本人であることと、最後の晩餐のサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会に近いことで選択。設備は通常の三ツ星並、クーラー、電話、シャワー等。建物は100年ぐらい前のものらしいが、内装は綺麗、セキュリティーは三重で極めて堅い。写真はホテルのあるビルの内庭に面したホテル玄関、ビルの入口は分かり辛い。
ミラノのホテル
2002年7月7日(日)晴れ 12000歩 体重62k(ほとんど変わらず)
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」を観る。ブレラ絵画館にて、3時間を過ごす。日本語オーディオガイドあり。
明日の帰国便搭乗に向け、諸準備を行う。

イタリア最後のMail発信
2002年7月8日(月)〜9日(火)晴れ  20000歩
10時半にホテルをチェックアウト後、ホテルに荷物を預けて、最後の観光であるサンタンブロージョ聖堂、ヅオーモを訪問。飛行機の搭乗時間が20:10であるため、のんびり観光、ブラブラと時間をつぶし、最後のミラノを過ごした。
タックスフリーのリファンド(税金返戻)手続きもあったので、搭乗時間の3時間前に到着、一番にチェックイン。搭乗機はAF4811便、パリ経由成田。ところが、驚いたことに席がないという。冗談じゃない、7/4にチューリッヒへ電話でリコンファームしたと主張。担当者の英語が良く分からないので平行線になりかけたが、先方がリストをチェックし、とにかく分かってくれたらしく、最終搭乗中の17:25に急いで乗れという。え!もう17時40分だよ、間に合うのか、タックスフリーの手続きはパリでも出来るかと、あわただしいやり取り。まだ客がきていない両側のカウンター担当者も手伝ってくれて、荷物の処理をし、パスポートのチェックも横入りで済まし、駆け足で搭乗ゲートに到着。パリ行き便に飛び乗った。
パリでは何事もなくチェックインできた。タックスフリーの手続きも済まし、たっぷり4時間ほど空港で時間をつぶし、パリ・成田のAF274便に搭乗、無事帰国。
帰国後釈然としないので、AF成田の顧客窓口に電話照会。オンラインで調べてくれた結果、ミラノ・パリはキャンセルされておらず、席はあったとのこと。あの時の様子では担当者が意地悪したとは到底思えない。成田の顧客担当者とやり取りの結果、何が起こったのかは結局断定できないまま終わったが、可能性のある原因・対策は次のとおり。
@前提としては、常にあるダブルブッキング。多いほうから少ないほうへの振替。
A搭乗機はAFとアリタリアの共同運行便で、両社システムの連繋不備。
Bリコンファームはしておくほうが良いが、@との関連で絶対安全ではない。
C本件に関しては格安航空券であることは多分関係ない。
D対策としては、個人旅行の場合、早くチェックインし、断固として主張する以外なさそう。

7/9自宅に帰り着き、ホッとして気が抜けて、実際にこれを入力しているのは7/15 18時です。今回の「滞在日記」は今日で終わりとさせていただきます。長い間、お付き合いいただき本当に有難うございました。厚く厚く、御礼申し上げます。
このHPは先ずは自分たち夫婦の記念・記録として作成しましたので、お読みいただいた読者の方々には失礼なこと、読むに耐えないことがいっぱいあったのではないかと懸念しています。お許しください。
また、このHPは開店状態を続け、旅で得た情報を整理し修正を加えたいと考えていますので、読者の方々から掲示板・メールでのご指摘・ご意見をいただければ幸いです。
ひとまず、
Arrivederci! Addio!

スイス メンリッヒェンにて
一人旅のイングランドの爺さん撮影
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