滞在日記は主にロングステイの生活、感想などを中心に掲載します。写真はクリックすると大きくなります。 観光は主に「アルバム」をご覧下さい。 <トピックス> Santa Restituta村の人たち イタリアの高校生 ジュッゼッペさん パソコンの携帯接続 ローマのゼネスト ローマの日本大使館 持参薬品 大家のPAOLO一家 朝市 |
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2002年4月2日(火)晴天 | ||||||||
直前準備 いよいよ、出発する月に入った。 今回の旅行で、新しいことは「パソコンと付属用品」の持参。持ってゆくものは足らなくても、多すぎても困る。今日全部並べて点検したが、かなりの数。 <パソコン関係> ・IBM ThinkPad i 1620 (B5ノート) ・ACアダプター・電源コード ・マウス ・CD-ROM・CD・パソコン接続コード・電源コード ・コネクターCタイプ ・モデムアダプターイタリアタイプ・スイスタイプ ・ROAD WARRIOR(モジェラー接続コード) モデムセーバー <デジタルビデオカメラ関係> ・SONY DCR −TRV20 ・充電器、電源コード ・SONY VIDEO FRASH ・カセット <携帯によるパソコンの接続> ・電話線に接続して、通信をするつもりで機材をそろえたが、携帯(NOKIA)に接続できそうとの情報あり。携帯購入の予約を今回お世話になっている飛行船に依頼。用意した機材はかさばるが念の為持参することにした。 |
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2002年4月14日(日)晴 | ||||||||
直前準備 持参する薬品を整理・確認した。3ヶ月近い期間を考慮して、どうしても色々揃えることになり、小さな救急箱並みになった。 <医師の処方による薬> ・血圧降下剤(90日分) ・下痢止め(フェロペリンA)10回分、友人の差し入れ、以下同じ。 ・胃腸薬(AM散) ・風邪薬(ルピット) ・鎮痛解熱(バファリン) ・鎮痛剤(ブスコン) ・抗生物質(アクロマイシンV) ・外用薬(マキロン) <薬局の薬> ・胃腸(太田胃散)38包 ・胃腸(正露丸)130粒 ・風邪(新ルルA)30錠 ・乗り物酔い(トラベルミン)6錠 ・虫刺さされ(オイラック) ・傷(テラマイシン) ・目薬(ビタチャージ) ・トクホン、熱さまシート ・ビタミン剤(エスファイトゴールド) |
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2002年4月15〜16日(月・火) 万歩計25000歩 | ||||||||
出発・到着 何事もなく、出発・到着と言いたいところだが、やはりことが起こった。 15日の出発準備がほぼ終わった昼ごろ、航空券を買ったCAS TOURからпB 「搭乗機のエールフランス(成田〜パリ〜ローマ)は、ローマ到着の4/16が全土でゼネストが予定されており、成田〜パリは飛ぶがパリ〜ローマは飛行キャンセル。そのため、パリ〜ローマは一日延ばして17日の便に振り替える。パリでの宿泊手配・費用の負担は航空会社との交渉次第。成田のチェックインは早めに行くこと。 念のため、AFの電話番号も知らせる。」こう書くとそっけなく聞こえるが、丁寧な説明があった。 すぐ電話にてAFと交渉(成田だから日本語)。CAS TOURからの内容を話すと、CAS TOURと相談の上、再度連絡したいとの意向。30分ほどで連絡があり、 「16日のAF便はキャンセルだが、ほぼ同時刻発のアリタリア航空との共同運航便は飛ぶので、それに振り替える。ストに対する読み・対応が会社によって異なる。 しかし、実際に飛べるかはパリに着いてみないと分からない。そのため、17日の便も押さえておく。17日の便になった場合、今回は航空会社のストではないので、パリでの宿泊手配・費用負担は出来ない。また、荷物もローマまでのスルーにすると迷子になる恐れがあるので、パリでピックアップしたほうがよい。大変かと思うが、頑張ってほしい」。 それから、のんびりした出発準備が急変。インターネットから、パリのフランス語表記の地図、交通図、ホテルリストを入手し、印刷。 3時間前に成田のAF個人カウンターに到着、チェックイン。パリ〜ローマは16日アリタリアとの共同運航便にてクーポンを受け取る。荷物もローマまでのスルーで大丈夫。受付嬢の断言で不安を残しながらも、一安心。 20人規模のイタリア行きM社のツアー客の話では、ストによる変更を添乗員が知ったのは成田のカウンターだったとのことで、こちらはまだましかと思う。 搭乗機は順調に飛行、パリ〜ローマも定刻に到着。 ああよかった、と思ったがそうは問屋が許さなかった。 ローマではしっかりゼネストをやっていた。荷物が出てくるのはやや遅いぐらいだったが、出迎えに来ていたよそのツアーの添乗員に聞くと、交通機関は全部アウト。客引きのタクシー数人から声がかかったが、拒否。雲助風。 空港施設、鉄道、バス、役所、商店、学校、すべてストと聞いたが、それでも、イタリアだからひょっとしてと思い、空港の鉄道駅へスーツケースを転がしながら向かう。ガランとしていた。切符売場はシャターが降りている。おまわりさんが5〜6人集まってなにやら話している。深刻な様子はない。案内所で聞くと、オール×のサイン。 いよいよ、救急車出動を要請するしかないと判断。(株)飛行船の現地駐在員K氏へ電話。急遽、1時間半をかけて迎えに来てくれることになる。人影のほとんどない、空港駅のBARでハムサンドを頬張りながら、粘って待つ。YouYouも疲れた様子。 彼が現れたときは、正直ほっとした。でなければ、宿探しになっただろう。 彼の運転で、ローマ市内を迂回し、ウンブリア州の農村地帯を通り、目的地のアメリア市に到着。アメリアは小さな城砦に囲まれた想像どおりの町だった。 到着直後、2ヶ月滞在するA家の主人PAOLO、奥さんのERSILIAを紹介される。なんともいえない位、明るい。 我々は3階建て民家の3階を賃借。大家さんは1・2階を使っており、通りに面した1階の一部はパソコン店に貸している。 早速、夕食に招待された。PAOLOの母LINA,次女FRANCESCAも同席、お互いに辞書片手の会話?と、スパゲッテイ・肉団子・ソーセージなどの料理を楽しんだ。 料理のこと、PAOLO一家のことは別の機会に記す。 今日はもうくたびれた。長い2日が終わった。 |
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2002年4月17日(火)晴れ 16000歩 | ||||||||
前日のようなゼネストが日本で起こったら、マスコミはどういう反応を示すか。それとの比較で、テレビを見ていたが、画面、言葉(ストsciopero)で大騒ぎの様子がない。新聞(地方紙)のCORRIERE dell UMBRIAを買ってきて眺めて見ると、第3面にそれらしき記事があった。もちろん読めないのでよくは分からないが、実施率は高かったようだ。K氏によくあるのかと聞くと、今年になって初めてとのこと、朝テレビは見なかったとあっさりした反応。 早々に、K氏が来訪。パソコンを携帯に接続するため、彼の友人のファブリッツオが経営するパソコン店と、携帯販売店へ向かう。YouYouも同行。その途中、今日日本から到着した、アグリツーリズム(民宿、レストランも併設)に3ヶ月ステイし料理修行をする女性Tさんを最寄りのNARNI駅に迎える。今日はストの昨日と様変わりで順調だったとのこと。彼女もホットした様子。 彼女もパソコン(MAC)を抱えてきており、我々と同行。ファブリッツオが私のパソコン(IBM)と彼女のMACを点検、携帯販売店で機種の選定と、接続方式(USB)を決めるのに立ち会う。MACは難物だとの由。設定もやってくれるとのことなので、機材一式を預ける。 シティバンクのカードで、ATMから引出し。イタリアでは一日の引出し限度が、240EUR。主にセキュリティ対策のためとの由。 K氏がTさんをアグリツーリズムに連れてゆくのに同行。アグリツーリズムは農家対策の一環として、農家が副業で宿泊・レストラン業を行うもので、全国に9000軒を超えるといわれている。 そのアグリツーリズモは一面の畑地の中に、ぽつんと所在し、農耕馬、鶏が放し飼い。オーナーは気さくなタイプ。TさんにYouYouのメールアドレスを教えて、励まし、ひとまず別れる。K氏に送ってもらい自宅到着。 |
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アグリツーリズモ周辺 |
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2002年4月18日(木)晴れ 13000歩 | ||||||||
アメリアの旧市街を散歩。行き交う人々はお互い挨拶する人が多い。山に行った気分で我々も倣う。K氏によれば治安はきわめて良好で、夜歩きも大丈夫とのこと。 和伊辞典を片手に近くのスーパーで買い物。ほとんど一回の発音で通じるのは助かる。店員は信じられないぐらい愛想がよい。物の値段は追ってまとめて記載。 |
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2002年4月19日(金)晴れ 14000歩 | ||||||||
我が家はアメリアの中では新市街にあり、旧市街の正門ローマ門まで公園のそばの道を通って徒歩5分。旧市街は格好の散歩コースである。 今日は旧市街の外周道路から、頂上のドーモへ行く。見晴らしがすばらしい。午後は逆方向の外周道路から、旧市街に登る。劇場(TeatroSociale)に出くわす。恐る恐る中をのぞくと、爺さんが出てきて、中を案内してくれる。1783年創建だが、今も現役で公演もやっている。ミラノスカラ座の名前を出すと、小ぶりだが構成は同じだと胸を張った。確かに、天井桟敷まで入れると5階まであり、舞台の緞帳も立派、楽屋、宴会場も見せてももらった。本当に親切。カメラを持ってきて映していいかと聞くと、明日こいという。約束してわかれた。 夜、大家のPAOLOの長女ANNALISAと初対面。彼女はペルージャ大学の大学院生(生物学専攻)で、休日には帰ってくる。婚約中とのことでかわいい。YouYouが折り紙をプレゼントしたら、早速教えてほしいと言い出し、PAOLO、ERSILIAも上がってきて大騒ぎ。 |
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2002年4月20日(土)晴れ 10000歩 体重61k 少し痩せる | ||||||||
劇場再訪。館内の写真を撮る。(写真の詳細はアルバムをご覧ください)。案内してくれたジュッゼッペさんの笑顔がすばらしい。彼はわれわれが行くのをわざわざ待っていてくれた。われわれが劇場を出ると、玄関の扉が静かに閉ざされたから。 これで、旧市街の主な道(Via)、建物は見終わった。探訪から、淡々とした散歩の段階に入る。しかし、自動車の通行は意外に多いので要注意。 ドーモのすぐ下にあるCarfeniというしゃれたレストランに寄った。飲み物だけでいいかと聞くと、いいというので、私はジェラート、YouYouは紅茶を注文、いつもの構成である。 夜、PAOLO,ANNALISA、FRANCESCAの3人がケーキを持って上がってきた。折り紙のお礼か。なんともみな明るい。 |
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2002年4月21日(日)曇り時々小雨 9300歩 | ||||||||
安息日だけに、街は静か。店は数軒のBARを除いてしまっており、車の通行も少ない、バスも動いていないのではないか。これからも、日曜日はこの街で静かに過ごすことになりそう。 YouYouが洗濯をしていいものか迷っていたが、ベランダからいくつか洗濯物が干してあるのを見つけて、始める。 大家の3人の子供(うち1人は男の子PIERPAOLO)と、ローマ門のところで出会う。大勢の同年輩に見える仲間と一緒なので、なんだいと聞くと、今からカンタータ(合唱)をしに行くといって楽譜を見せてくれる。大家夫妻も2人でどこかへ出かけた。いずれも行き先が教会かどうかは分からない。市庁舎の前の大きなFrancesco教会には子供が大勢集まっていた。日曜ミサがどんな様子なのかはまだ分からない。 |
ローマ門前広場 バス営業所 |
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2002年4月22日(月)晴れ 9000歩 | ||||||||
K氏から携帯によるパソコン接続が難航していると連絡が入る。携帯接続のソフトインストールを私のパソコンが受け付けない、Windows98でうまくいっているのに、私のMeはフリーズしてしまってインストールが最後まで行き着けない。ファブリッツオが週末懸命にやってくれたが、困っているとのこと。確かにMeは扱い難いところがある。駄目もとで私も行こうと言う事になり、ファブリッツオの店に向かう。 ファブリッツオは目の周りに隈をこしらえ、無精ひげで待っていた。一通りチェックを済ませ諸設定は完璧であるが、モデムのインストールが出来ていないことをお互いに確認。何度か試みるが旨く行かない。かなり時間がたって、これで最後にしようと、最後の試み。やはり行き着けない。そのままでしばらく待って、閉じてモデムを確認。なんと、入っているではないか。早速接続を試みる。繋がった。ファブリッツオと歓声を上げ、握手握手。重たいパソコンを抱えてきた甲斐があったと思った瞬間。 携帯は契約手続きが残っており、まだ手許にはない。パソコンは戻ったので、携帯が届いたらアップロードできるよう、せっせと作業をやろう。 、 |
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2002年4月23日(火)晴れ 8000歩 | ||||||||
朝から、ホームページの更新作業。日記は15日から22日まで一気に入力。 午前中に、PAOLOに夕食を頼む。今後もあることなので、料金も取り決める。併せて、YouYouに料理を教えてもらえないかと問う。 お婆ちゃんのLISAも入って相談の結果、今日の夕食準備の6時からどうぞということになった。YouYouはそれから緊張の極。家族の名前を覚え切れてない、挨拶はなんと言えばよいか等と、下に降りる直前まで騒いでいた。PAOLOが食事だよと呼びにきたので、部屋に入ると、YouYouはLISAとERSIRIAに囲まれ、調理台の前で、ご満悦。結構でした。 食事はスパゲッテイナポリターナ、ピザ(アンチョビとチーズ、マルガリータ、ソーセージ、ローズマリーと生ハムの4種類、こう書けたのも習ったなればこそ)。旨かったが、とても食べきれない。K氏がローマあたりのレストランよりお勧めだといっていたが、そうかもしれない。 FRANCESCAから、木曜日の2時半からのハイキングに誘われ、OK.。我々は興味津々の存在のようだ。 今までの会話で分かったPAOLO一家のこと PAOLO 57歳 数年前に、警官を退職、現在は年金生活者 ERSILIA 妻56歳 地元の銀行に勤務 LISA ERSILIAの母 この家のマンマ PIERPAORO 長男26歳 地質学のDr 大学勤務 ANNALISA 長女 20数歳 ペルージャ大学大学院生(生物学) FRANCESCA 次女17歳 地元の高校生3年生(5年制) |
Ameliaの案内板 Ameliaの路地
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2002年4月24日(水) 晴れ 12400歩 | ||||||||
ホームページの更新作業を続行。K氏が夕刻、待望の携帯を届けてくれた。接続できた。しかし、当初の高速・4月中は繋ぎっ放しでOKという話はアメリアでは地域的に出来ないという。それではNARNIにパソコンを持ってゆけば出来るのか、再度確認してもらうことにした。少なくとも、今の受発信のスピード、料金では画像のついたHPのアップロードは出来ない。一難去ってまた一難である。 | ||||||||
2002年4月25(木)晴れ 8600歩 体重60K | ||||||||
約束のハイキングの行き先はPAOLOの運転する車に乗ってから分かった。ERSILIAの生まれ故郷であるSanta Restitutaという村である。今日は「イタリア開放記念日」休日なのだが、ぜひ生まれ故郷を見せたいということらしい。40分以上ウンブリアの田園地帯を走り、彼方の山の中腹に見えたのがその村だった。典型的な過疎の村で、人口は夏場が150人に対し、冬は17人。出身小学校は閉校。生家の中にも入ったが、質素なつくりで、いつ建てられたのかと聞くと、1200年代との応えにたまげる。村中を歩いて、一人一人紹介してくれた。おじさん、おばさん、いとこと親戚がまことに多い。大勢の人を相手に、辞書片手にやり取りは大変だった。驚いたことに、姉のANNALISAが自分の車で、おばあちゃんのLINAとともに来ていた。 別れる時はイタリア式のほほづりの挨拶をしたが、やっているうちに平気になるものである。 もう少し足を延ばして、城塞のある村Melezzoleへ向かう。この地方の観光地図を見ると、城塞マークのついた村が沢山ある。必ず丘の上。この村もそのひとつだが、何で暮らしを立てているのかと聞くと、ペルージャ、オルヴィエートなどに通勤している人が多いとのこと。車なしでは生活できない。今日の散歩・ドライブは有意義だった。しかし,どういうお礼をすればよいのかなー。 |
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2002年4月26日(金) 晴れ 5700歩 | ||||||||
今日はバスに乗って、初めて最寄の鉄道NARNI・AMELIA駅まで出た。乗り方は、始発駅だけにバス営業所があり、そこで切符を買って、バスの前の入り口から乗車、黄色い箱に切符を差し込んで、ガシャリと日付を刻印するだけ。ワンマンバスだから切符を受け取る人はいない。不心得なものはいないということなのだろう。 鉄道駅前のBARでお茶を飲んでいると、11時ころ大家の次女FRANCESCAにばったりであった。どうしたのかと聞くと今日は半ドンだと言う。周りを見ると、同年輩の子が沢山いる。みな同級生。 それから何人か寄ってきて、賑やかなことになった。日本人が珍しいのだろうが、日本の高校生とだいぶ違う。 学制のことを聞いたら、彼女らは5年制のSUPERIORI(高校)の3年生(17歳)、学制は5年ELEMENTARI−3年MEDIE−5−5年大学、大学院は年数の定めがないという。ほとんどが大学進学希望で、ローマ、ペルージャなどに進学。FRANCESCAに大丈夫かと聞くと、首をすくませて見せた。 K氏が携帯によるインターネット接続用の新しいカードを届けてくれた。OMNITELのRicaricabile A1 Secondoという、1分間で6円程度の料金との話である。私のHPは画像が多いので、転送中にパソコンがフリーズしない工夫が必要。K氏の薦めもあって、転送を小刻みに分けて始めた。スピードは遅いが成功。この文を書いている時点では溜まった分がまだ全部終わっていないが、後は時間とお金で解決する話。 改めて、ファブリッツオとK氏に、ありがとう。 |
NARNI-AMELIA駅前 NARNI-AMELIA駅 |
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2002年4月27日(土)雨 5000歩 | ||||||||
朝7時ごろ、26日までのHPの日記、アルバムのアップロード完了。昨夜10時ころから作業をしたが、どうしても接続せず、回線が混んでいるのかと思い夜中にやってみたがだめ。早々に起きて、ソフトの再インストールをやったところ、ストント繋がった。やはりモデムのインストールが不充分だったようだ。 YouYouが頑張って、夕食は純日本食。ご飯、金目鯛の煮付け、アスパラのくるみあえ、梅干。PAOLO一家へアスパラのくるみあえをおすそ分け。早速明日の昼食のお誘い。喜んでくれたようだ。 <食材> 1EURO=\116 米 RISO ORIGINARIO Ikg 1.11EURO(日本米に近い) 金目鯛 一尾 3.3 EURO アスパラ 752g 2.18EURO くるみ 200g 1.11EURO YouYouによれば、いずれも日本のスーパーより安いとのこと。 |
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2002年4月28日(日)快晴 13000歩 | クリックしても大きくなりません | |||||||
今日はすばらしい快晴。バスは動いてないので、午前中は田園の中を散歩、夕方は旧市街の中を散歩。 昼は招待を受けた昼食に参加。YouYouは例よって、昼食準備に加わる。確りレシピを書いているそうなので、当てにしないで楽しみにしておこう。 食事はおばあちゃん手打ちパスタのスパゲッティナポリタン、子羊の炒めもの、デザートのテラミスーこれは絶品。 イタリアでは夕食より、昼食のほうが、メインらしい。食事の内容もそうだが、食べる場所も夕食のときはダイニングキッチンだが、今日はリビングルームだった。 今日は長男PIERPAOLOの恋人(まだ婚約はしていないようだ)も同席で、賑やかな昼食会になった。PIERPAOLOは仕事上、自室に4台のパソコンを置いているパソコン好きだが、小生のSONYのデジタルビデオに強い関心を示し、この説明は完全に理解されたようだ。 今日から、アップロードの負荷を減らすため、写真はクリックすれば大きくなる方式は辞めます。見難いかも知れませんがお許しください。 |
PAOLO一家勢ぞろい |
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2002年4月29日(月)晴れ 9000歩 | ||||||||
月曜日8時から12時までに行われる朝市に行く。先週は早々に行ったのですいていたが、今日はゆっくり行くと混んでいた。野菜、果物売り場では、買いに来たおばさん方が、売り子に早い者勝ちで声をかける。スーパーの買い物より、大変だ。YouYouは根性で、プチトマトと洋ナシを買った(朝市の写真はアルバムへ)。 午後、バスに乗って、NARNI市の探訪。商店はほとんど閉まっている。通常、商店は8:30〜13:00、16:30〜20:00 が営業時間。しかし確かではない。BARとスーパーは開いているところもある。日曜日はBARの一部を除いて全て閉まっている。 何もないねということで、スーパーで買い物をして帰ることにした。 バス待ちをしていると、見たことのある日本人が歩いてくる。声を掛けると、悲鳴を挙げた。なんと、(株)飛行船のFさんと、飛行船の世話で3ヶ月の予定でステイしているMさんの女性2人である。ここはROMAと違い、まず日本人に行き当たることはない。しばらくBARで話をして、携帯の番号を教えて別れた。 |
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2002年4月30日(火)晴れ 20700歩 | ||||||||
今日は初めてローマに出かけた。バス、列車乗り継いで、約1時間半の行程。 はじめに、日本大使館にY氏を尋ねる。YouYouの友人の知人とのことで、勤務中にかかわらず、快く会っていただけた。毎日のように被害にあっている日本人がいる現状から、気をつけてほしいとのご注意を受けるとともに、緊急連絡先を教えていただいた。なお、さすがに大使館のセキュリティは厳重で、事前アポは通じていたが、入館時パスポート(コピーで可)の提示を求められ、ガードが記録していた。 余談になるが、こちらでは銀行も郵便局も、入口のドアーは二重になっていて、最初のドアーが閉まってから、次のドアーが開く仕掛け。スペースの関係から、一人ずつしか入れない。 ヴェネト通りに出て、以前パック旅行で泊まったことのある、エクセルシオールホテルの前を通り、ビンチアーナ門からボルゲーゼ公園に入り、散歩。公園をぬけたところで、予約の要らない「ヴィラジュリア博物館」をゆっくり見て回る。ここはイタリアの先住民エトルリア人の遺物が中心。ギリシャの影響が強く感じられる高度な文明を実感。 ブラブラと歩き、ポポロ門・広場から、アウグストゥス帝の廟のそばを通って、スペイン広場に抜ける。階段でしばらくミーハーをやり、地下鉄に試しのりをして、小手調べのローマ初日は終わった。緊張感が強い。 なお、ローマの店は昼間でもほとんど開いている。田舎のアメリアとはやはり違う。 明日から、5月。はじめからご覧いただいている読者のために、5月からはページを改めます。引続きご愛読ください。 (携帯のCIMカードを使い切ったため、補充が出来るまで転送は一休み)。 |
ローマテルミニ駅 スペイン広場近くの通り |
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